ダンブルドアは100年前の最年少シーカーだった?【ハリーポッター】

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ネタバレ注意
この記事は、ハリーポッターシリーズの映画・原作のネタバレを含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。

100年前に最年少シーカーだったのは誰?

ハリーは、ホグワーツに入学したばかりの1年生であるにも関わらず、最年少でクィディッチチームのシーカーに選抜されます

たまたまハリーの素晴らしい飛びっぷりを見たマクゴナガルが、ハリーをチームに推薦したのです

通常であれば、1年生がクィディッチの選手に選ばれることはほぼありません

それに、チームに入るにはまずトライアウトを受ける必要があります

ハリーのような若さで選手に選ばれるのはとても異例なことで、

マクゴナガルによれば、ハリーは100年ぶりの最年少シーカーであるとのことです

しかし、ここで1つの疑問が浮かびます

100年前に最年少でシーカーになった人物は、一体誰なのかということです

今回はその答えについて考えていきたいと思います

ダンブルドアがシーカーだった?

結論から言うと、100年前の最年少シーカーは『アルバス・ダンブルドア』であった可能性が高いです

なぜかというと、年代がほとんど一致しているからです

ダンブルドアは1881年に生まれたので、彼がホグワーツに入学したのは11年後の1892年です

なので、ダンブルドアが最年少シーカーになったとすれば、この1892年になります

これは、ハリーがシーカーになった1991年から、ほぼ100年前にあたります

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ダンブルドアが学生時代に獲得した賞とは?

ダンブルドアの学生時代については、彼の友人であり同級生であったエルファイアス・ドージの追悼文で明かされています

『ダンブルドアは、1年生の終わり頃にはすでに、ホグワーツ始まって以来の秀才として知られていて、学校の賞という賞を総なめにしていた』と、ドージは語っています

それだけ魔法の才能があり優秀だったのなら、箒で飛ぶのだけは下手だった、と考えるのは難しいです

そして、ダンブルドアが貰った学校の賞とは、どんな賞だったのでしょうか?

その一つが、クィディッチの優勝杯だった可能性は十分にあるでしょう

ダンブルドアはチャドリー・キャノンズのファンだった?

原作小説には、ダンブルドアがクィディッチチームである『チャドリー・キャノンズ』について言及している場面があります

これはわしの、きみへのたっての頼みじゃ、セブルス。なにしろ、わしに死が訪れるということは、チャドリー・キャノンズが今年のリーグ戦を最下位で終えるというのと同じくらい確かなことじゃからのう。

出典:『ハリー・ポッターと死の秘宝』原作小説より

このセリフから、ダンブルドアがリーグ戦でのチャドリー・キャノンズの順位を気にかけていることがわかります

おそらくダンブルドアは、チャドリー・キャノンズのファンだったのでしょう

それをさらに裏付けるのが、チャドリー・キャノンズが最後に優勝を飾った年が、1892年であるという事実です

これはダンブルドアがホグワーツに入学した年と全く一緒です

1年生でシーカーとしてクィディッチを始めたダンブルドアが、その年に大活躍していたチャドリー・キャノンズのファンになるのは、理にかなっています

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